「ひきこもり」の現状

 著者はこれまで、いくつかのメディア上で、
明確な根拠を示すことなく「ひきこもり人口は
数10万人から100万人」とコメントしてきた。
自体の深刻さを印象付けるためとはいえ、
これでは疫学的に誠実な態度とは言いがたい。
 もっとも、こうした推定の背景には、国勢調査の結果に
基づくパラサイト・シングル1000万人という数字、あるいは
2001度の学校基本調査の結果などがある。
後者については、不登校13万4000人という数字は広く知られるところとなったが、
内訳として中学生が10万8000人と圧倒的であることは意外に知られていない。
この数字は中学生の38人に1人、すなわち、クラスに1人が不登校であることを意味している。
ただし、学校基本調査の数字が諸般の事情から控えめなものであり、
不登校の増加とされる現象の一部には、
学校が時代とともに率直になっていく家庭が反映されている
可能性も付記しておかなければならない。
 高校生以上の不登校についてはデータがないが、試みに
平成9年度入学者数144万6104人から
平成12年度卒業者数132万9000人を引いてみると、
11万7000人という数字を得る。
ここには高校在学中の留年、休学、退学者数が反映されていると考えられ、
不登校の一部もここに含まれているであろう。
また、高卒後、就職・進学をした以外のものの人口は13万2000人、
大卒後については12万1000人と報告されている。
ここに挙げられた何らかの不適応に関連する数字の総計は51万6000人であり、
このすべれがひきこもりに移行するわけではないといえ、
関連する動向として重要な数字である。
 たとえば不登校の予後調査についてはさまざまな文献があるが、
平均的な見解としては。予後不良、すなわち慢性的なひきこもり状態へと
移行する割合は、1-2割程度ということになろう。
この比率を上の結果にあてはめると、
中学から大学までのサイクルが一回転するごとに、
5万人から10万人のひきこもり人口が新たに生まれる計算となる。
ここで問題となるのは、
ひきこもり状態が慢性化した場合、そこからの自然な離脱が極めて起こりにくいということだ。
ひきこもり人口には毎年数万人ずつの流入があるのに、
流出する人口は圧倒的に少ないことになる。
すなわち、蓄積の効果によってひきこもり人口は膨張しつづけるのである。
関係者の談話などから、ひきこもり事例の増加は、
70年代後半からはじまったと推定され、
20年来の蓄積があることを考えるなら、
100万人説が必ずしも誇張ではないことがお分かりいただけるのではないだろうか。
 さらに今年に入って、「ひきこもり」に関するいくつかの統計が発表され、
おおよその規模を知る手がかりが増えた。
これについても簡単に紹介しておこう。
 まず、2001年4月10日に教育評論家の尾木直樹氏の
臨床教育研究所「虹」が発表した調査研究の結果を参照してみよう。
主に尾木直樹氏の講演会参加者を中心とした一般市民2943人を対象に行った
アンケート調査の結果、
「ひきこもり」という言葉を知っているものは全体の94.9パーセント、
また身近にひきこもりの若者を知っている人は全体の実に
29.2パーセント、うち家族にひきこもり事例を抱えているのは全体の約3パーセントにも及んだ。
勿論教育に関心のある層を対象にしている点など、
かなり対象選択についてバイアスがかかった調査であることは歪めないが、
それでもこの数字には驚くべきものがある。
尾木氏はこの結果から、ひきこもり人口を80万人から120万人と推定しているが、
これは著者の臨床的実感とほとんど一致するものだ。
 2001年5月8日に結果の一部が発表された厚生労働省による
ひきこもりの実態調査については、本書で倉本英彦氏が報告している。
この調査には、著者も共同研究者として関わった。
詳しくは倉本氏の論文を参照されたいが、
この結果について若干の解説を加えるなら、
本調査は全国の保健所と精神保健福祉センターを対象とするものであり、
受療率をどう考えるかによって実数の推定がまったく
異なってくる。著者の経験から補足するなら、まずひきこもり人口全体の中で、実際に
治療相談を受けるのはせいぜい10分の1以下であろう。
さらに、治療相談を決意したものの中で、
保健所や精神保健福祉センターを受診しようと考えるものは、
さらにその10分の1以下出ると経験的に推定される。
つまり、この調査結果は少なくても100倍しなければ実情を
反映しているとは言い難い。
よって、全国的に少なくとも60万人以上のひきこもり事例が
存在することが推定される。
 この調査の意義は、かなり信頼性の高いデータが得られたということのほかに、
各都道府県に配布された対応のためのガイドラインの存在にある。
すなわち、ひきこもり事例は保健・医療機関において治療的な対応を受けることが
可能な対象であることが公式に認定されたのである。
これはきわめて画期的なことであり、この判断は遠からず精神医療全体に
波及することが大いに期待される。